今日はサーカスの練習。ちうに遅くなるから先に帰ってもいいと言ったけど……

「別にいいよ。それにザジがサーカスやってる所見てみたいしな」

という訳で私はちうに練習風景を見られている。いつも通りのメニューをこなしていく。
その度にちうは驚きの声を上げてくれた。それが嬉しくてつい、いつも以上に張り切ってしまった。


――私は浮かれ過ぎていた。

大好きな人にいい所を見せようとして。周りが見えなくなっていた。
後ろの綱渡り用の鉄棒がぐらついているのを、それが倒れてくるのも気づかない程に。

――私は浮かれ過ぎていた。

ガシャーンという凄まじい音と悲鳴がサーカス小屋に響いた。音を聞きつけ人が集まってくる。しかし私にではない。
目の前で鉄棒の下敷きになっている少女にだった。

私は見た。ちうに笑顔を向けた時ちうは猛スピードで走ってきて私を突き飛ばしたのを。

ちうはピクリとも動かない。私はフラフラとちうに近寄った。
手を握ってみた。やはり動かない。揺すってみた。それでも動かない。

「ちう…」

呼びかけてみた。動かない。とにかく呼びかけた。呼びかけはそのうち叫びに変わった。
自分でも何を叫んでいるのか分らなかった。こんなに声を張り上げたのは生涯初めてだと思う。

やがて救急隊員がやってきてちうは病院に運ばれた。私は一緒について行ったらしいがよく覚えていない。
気がついたら病院の一室に座っていて目の前に医者がいた。
よく分らないレントゲン写真を見せられよく分らない説明を聞いていた。
そんな事よりちうは無事なのか?それだけをとにかく質問した。

「命に別状はありませんが、頭を強く打っており非常に危険な状態です。このまま目が覚めないと最悪…植物人間に……」

この瞬間私の頭の中は真っ白になった。

植物人間?ちうと遊べないの?ちうとお喋りできないの?ちうと一緒に……

私は立ち上がり夢遊病患者のようにフラフラと部屋を後にした。


ベットにはちうが眠っていた。テレビで見るようなマスクを付けて静かに眠っていた。
まるで昼寝でもしてるかのように、試しに起こしてみた。しかし起きる事はなかった。
もしかしてという一縷の望みに賭けたがやはりだめだった。

今更になって私は後悔し始めた。
何故後ろに気付かなかったのか?何故いつも通りに練習しなかったのか?何故ちうを無理にでも帰さなかったのか?
いつの間にか頬に冷たい物が伝っていた。私はそのままちうの胸で声を殺して泣いていた。視界が暗くなって行く……



「ここは……?」

気がつけば私は暗闇にいた。深く、冷たく、寂しい暗闇。あたりを見回してると何かを感じた。

「………ちう?」

少しぶっきらぼうだけどすべてを包んでくれる優しい感じ。間違いなくちうだ。しかし気配がだんだん弱くなっていく。

「ちう……!?待ってて今助けるから」

暗闇の中を私は走る。途中何度も転んだが構わず走る。ちうを助けるために。

「ちうー!!」

どす黒い沼の中にちうはおり、既に体の半分は飲み込まれていた。すぐさま助けようと近づくが突然体が重くなった。
まるで全身に鉛を付けたようにうまく動かない。

「ちう…!」

ゆっくりと着実に近づくがちうもゆっくりと沼に飲み込まれる。早くしなければ……そう思ってもうまく動かない。


あと5メートル。ちうは胸まで浸かっている。

あと4メートル。ちうは肩まで浸かっている。

あと3メートル。ちうは首まで浸かっている。

あと2メートル。ちうは顔まで浸かっている。

あと1メートル。ちうは頭まで浸かっている。

あと30センチ。ちうは肘まで浸かっている。

あと10センチ。ちうは指まで浸かっている。

あと0センチ。私とちうの手が繋がった。


私は力の限り引っ張った。完全に抜け出したちうを私は抱きしめた。

「お願い……目を覚まして……また一緒にいよう……?」

その時私達は光に包まれた。暖かく、優しい光に―――




目を開けると病室にいた。私はちうの胸の中であのまま眠っていたみたいだ。
誰かが頭を撫でてくれる。優しく、そして懐かしい感覚。私は手の主を見た。

「おはようザジ……」

いつもの優しい笑み。私にだけにしか見せない優しい笑み。

「ちうー!!」

私はちうの胸に飛び込んだ。

「ちょっ……ちょっとザジ……!」
「ちう……ひぐ……ちう……ちぅ……」
「まったく……でもありがとな。夢の中で助けてくれて」

二人は抱き合った。温もりを感じるため。安らぎを感じるため。二度と離れてしまわないように強く抱きしめた……




おわり

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